皆さんこんにちは!
まだまだ、いわき市を歩いていると行ったことがない所がたくさんあります。
私自身は小名浜育ちの鹿島~湯本と引っ越して、今現在に至ってますから、この辺のことはなんとなく知っているつもりなんですが、それでもまだまだわかりませんし部外的なところは、サッパリわかりません!
今回は勿来ということで、レポートしながら自分でも勉強するとということになります(笑)
勿来というと有名な「勿来関(なこそのせき)」
勿来関(なこそのせき)
昔、歴史で習った勿来関!
「来ないでください!」
私が知っているのですから、おそらく大体の方はご存じかと思います。
勿来関には「追い剥ぎ」や「盗賊」がでるから近づくなと学生時代に習った記憶があります。
関って何?
関とは、大きな道路や重要な土地に、柵や建物を建てて、人々の通行を見張ってた施設です。
初めのうちは、政府の守りの足場としての意味合いが強かったのですが、鎌倉時代から政府の力が弱まり、勝手に関を作って通行料を取る人が増えたので、人や物の流れが滞るようになりました。
のちに「関の数」を減らす政策がとられました。
江戸時代になると関の役目はまだ変わり、江戸に鉄砲を持ち込むものがいないか、江戸から女性が逃げ出さないかを見張っておくことが重要な仕事になりました。
江戸には政府があって、各地のお殿様の妻子を人質にとっておいたので、こうした仕事が必要とされたそうです。
江戸時代が終わると、関はすべてなくなりました。
現在使われている施設の中では高速道路の料金所や、空港の保安検査場などが似た役目をはたしているようです。
勿来関文学歴史館
勿来関のを登っていくと頂上あたりに建てられている「勿来文学歴史館」
館内は「第一常設展示室」「第二常設展示室」「企画展示室」「市民ギャラリー」と別れていまして、場所によっては撮影禁止のところもありますので注意してください。
第一常設展示室 「歌枕 なこそ」
幻想的なライトアップされている施設の中で、色々な歌人が詠んだ和歌を19首、紹介しています。
ちょっと分かりづらいかもしれません、和歌は手前のプラ板に書いてあったりします。
通 路
通路にもオシャレな屏風調の絵が飾ってあります。
第二常設展示室 「不思議タウン なこそ」
お出迎えは・・・このお二人!(笑)
江戸時代の宿場町を仮想復元しており、宿場町の様子や昔の遊具を知ることができます。
出た~~~
LEDで時々映される「ゆうれい」・・・
こちらの絵は映写機で映された一部です。
色々な絵が変わっていきます。
企画展示室
企画展示室は撮影禁止になってました。
2020年11月21日~2021年1月19日 「スポット展示」
松井 秀簡 (まつい しゅうかん)
幕末の泉藩の代官で、戊辰戦争の際に非戦を説き自刃した松井秀簡の資料を展示し、あわせて泉藩の戊辰戦争についても紹介しています。
勿来関は「桜の時期」には大勢の花見客で賑わいますね。
吹く風を
なこその関とおもえども
道も狭に散る山桜かな
源義家朝臣
ここに本2020年 いわき市「白鳥飛来地」8選 小川・平窪・鮫川(河口・中流)・錦町(蛭田川)・四倉・サンマリーナ文を入力
実際に勿来関はどこにあったの?
実はよく分かってない勿来関の場所! (マジか?)
昔のお役所で使われていた書類には「なこそ」という関が見当たらないようです。
ただ和歌を詠むと勿来関は・・・
1⃣東北の、福島県周辺にある。
2⃣太平洋のそばにある。
という前提で考えられていたようで、「みちのく(東北)」や「あぶくま(阿武隈川)」といった地名と一緒に詠まれています。
そうした条件に合う、関がありそうな境界を探していくと、今の勿来町がふさわしいということだそうです。
勿来町という町名は、実は大正年間につけられた新しい名前で、それまで勿来町は「菊田郡」とか「窪田村」と呼ばれていました。
今の勿来町を「なこその関」と考えるようになったのは、江戸時代初めごろのようです。
※ただし「なこその関」という言葉を、文字として確かめることができるのは今から1100年前の「平安時代」で、このころ書かれた和歌には「なこその関」がたくさん出ているようです。
勿来関文学歴史館の詳細はこちら
吹 風 殿
入館は無料です。
季節ごとに風流な景色をご堪能できそうですね!
季節で催し等も開催しているときもありますので、詳しくはホームページ等で確認されてください。
勿来八景
最後に勿来八景をお楽しみください。
お正月早々、ブログを見に来てくださいまして、ありがとうございます。
2021年のコロナ禍中で、皆さん何を楽しんでいるんでしょうね!
私は食べて食べて・・・
お正月太りとコロナ太りのミックス!(笑)
皆さんも気をつけてくださいね!