いわき情報

皆さん「摩崖仏」ってご存じですか?いわき市住吉 遍照院住吉山「摩崖仏」と今は見れない鹿島久保の「摩崖仏」

 

皆さんこんにちは!

さっそくですが、摩崖仏(まがいぶつ)ってご存じですか?

いわき市にも数か所あったりしますが、皆さんもご存じの「鹿島久保」にあった「摩崖仏」が2019年8月24日の土砂崩れで陥没いたしました。

それでも最近は直下の「鹿島街道」も普段通りに通行できるようになりました。

 

以前の「鹿島久保摩崖仏」

 

【摩崖仏】

そそり立つ岩壁や、岩壁を龕状に彫った内側に刻まれるなど、自然の岩壁や露岩、あるいは転石に造立された仏像を指す。

切り出された石を素材に造立された石仏(独立石仏)は移動可能であるが、摩崖仏は自然の岩壁なそに造立されているため移動することができない。

 

以前に撮っておけばよかったと後悔してます・・・

それでいわき市にある「摩崖仏」をもっと見てみようと思い、出かけたのが住吉にある「遍照院」

 

いわき市住吉「遍照院 住吉山」

 

ここは皆さんご存じの「安寿と厨子王 伝説」にも出てくる寺院です。

 

こちらに宿泊したと語り継がれているようですね。

 

住吉磨崖仏は遍照院・金剛寺墓地の裏山に彫られています。

門を通りどんどん進んでいきます。

住吉摩崖仏は遍照院裏山の西崖面に構えた堀の中に厚肉彫りで彫りだされています。

龕は全部で6か所ありますが、向かって右から数えて第一号龕は当初からのものではありません。

全体に風化や剥離が激しく、像容を残すのは中央の2つの龕だけになってます。

第3号龕には、住吉摩崖仏の中では最も大きい如来の像がほぼ丸彫りに近い形で彫りだされています。

螺髪や豊満な顔の表情など頭部は良く残っていますが、膝前や手首先が剥離や風化しており、印相(手の組み方)は不明です。

第4号龕には、弥陀定印(印相の一種)を結ぶ阿弥陀三尊像が彫りだされています。

第3号龕の如来像と同様に丸みを帯びた頭部、厚みのある体部を特色とします。

向かって右側の脇侍は崩壊していますが、左側の脇侍は像容から勢至菩薩像であると考えられます。

第5号龕・第6号龕については風化が激しいため、仏像の名称などは不明です。

住吉摩崖仏の制作年代については、遍照院の寛文8年(1688)の由来書に、同寺が文安元年(1444)鏡澄法印によって中興開山される以前に寺院があり、その遺跡のみが残っていたと記されていることや、満月のように丸みを帯びた顔や体部がかなり古風な様式であることがわかるだけで、詳細については不明です。

住吉摩崖仏は凝灰岩に仏像を彫りだしているため、風化が進んでいますが、その堂々とした像容は当地方に残る数少ない摩崖仏の代表として注目されます。

いわき市教育委員会

説明文があったので、簡単に見つかると思ったのですが、ここからが長かった(笑)

 

さらに墓地に入って通りを進んでいくとこのよな所が見えてきます。

しかしこの墓石以外に何も見つからず、脇を通って山の上まで散策!

それでも見つからず一度、車までもどり再度・・・原点から散策!

墓地を行き止まりまで行き、あきらめかけた時に何気にうっすらと見つけました。

 

本堂から墓地を歩いてくと右側にこのようなお墓があります。

脇の階段を上り草むらをこえて3~4メートル進むと・・・

草むらに隠れた藪の中から「摩崖仏」が現れました!

両端にも石像が・・・素晴らしいですね!

 

さらにそこから2~3メートル右の藪の中にも隠れてました。

冬でこの草木ですから、暖かくなると見つけるのが大変かもしれませんね!

 

 

昔の方が汗水たらして懸命に彫った産物がなくなっていくのは、心苦しいものであります。

何かしらの方法で残すとはできないものなのでしょうか?

自然の流れなのでしょうから、致し方ないのはわかっていますが・・・

いわき市には、まだあるんでしょうか?

調べてまた行ってみたいと思います。

日本にある数々の摩崖仏をご覧になってください。

 

 

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