カテゴリー: 伝説・歴史

  • 【開運】いわき市パワースポット 七福神めぐり 1・2/7 尾玉山「龍春寺」(布袋尊) 好間町 龍峰山「長興寺」(寿老人)パワースポット!

    【開運】いわき市パワースポット 七福神めぐり 1・2/7 尾玉山「龍春寺」(布袋尊) 好間町 龍峰山「長興寺」(寿老人)パワースポット!

     

    皆さんこんにちは!

     

    今回は「開運」ということで、「いわき七福神」を巡ってきました。ネットで「開運」を検索するとトップに「しのぶ先生」とでてきます。

     

    「しのぶ先生」が誰だか私は知りませんが、さぞかし有名な方なんでしょうか(笑)

    こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれませんが、縁起物っていうのは、ほどほどのお金を掛けるのはいいのでしょうけど、あまり高額なると縁起どころじゃなくなってしまいますからね・・・

    七福神って何?

    って聞かれると、なんて答えますか?

    単純に「福」をもたらせてくれる「神」って答えますよね(笑)

    七福神とはその通り「福」を授けてくれる「7体の神様」のことです。

     

    弁財天(べんざいてん)「財運・音楽・芸能」

    毘沙門天(びしゃもんてん)「福得」「厄除け」

    大黒天(だいこくてん)「財宝」「開運」

    恵比寿(えびす)「商売繫盛」「五穀豊穣」

    布袋(ほてい)「笑門来福」「夫婦円満」

    寿老人(じゅろうじん)「長寿延命」「諸病平癒」

    福禄寿(ふくろくじゅ)「長寿延命」「立身出世」

     

     

    いわき市パワースポット 尾玉山「龍春寺」七福神めぐり

    龍春寺 (いわき市パワースポット 七福神めぐり」

    勿来をず~と山側に入った川部町の近くに「龍春寺」があります。

     

     

    尾玉山「龍春寺」は臨済宗妙心寺派のお寺です。

     

    1595年、佐竹又七郎が磐城領の総検地をおこなった際、領主岩城貞隆が龍春寺に山林を与え、徳川時代の鳥居忠政も、その寺領をそのまま認めたということです。

     

    御本堂は1852年にすべて焼失してしまい、明治31年に仮の御本堂を建てて今に至っております。

     

    道路から山門までの長い坂道は、二月には「寒ツバキ」、四月には「桜」、六月には「紫陽花」、九月には「彼岸花」そして「紅葉」と四季折々に色とりどりの花で埋まり参拝者の心を和ませてくれます。

     

    特に彼岸花の頃には真っ赤な花が火の海の如く咲き乱れ、その中に囲まれた三十三観音像が幻想的な雰囲気を醸し出してくれます。

     

    龍春寺ホームページより 抜粋

     

    こちらには「七福神」でお馴染みの「布袋尊」が建立されてます。

     

    「布袋尊」と境内には「三十三観音像」いわき市パワースポット

     

    境内に入るとお出迎えしてくださるのが、にんわり笑顔の「布袋尊」

    七福神でお馴染みですね!

     

    そしてその脇には枝っぷりのいい松の木!

    絵になりますね・・・

     

    「いわき七福神」ののぼりと、後ろには「お堂」

     

     

     

    中には大きな「そろばん」とお地蔵さんが・・・

     

     

    本堂の前の草むらにおは「モアイ像」を思わせる石像が・・・

     

     

    [box06 title=”あわせて読みたい”]いわき市 田人 おすすめグルメ・ランチ「ながせ」味噌かつ丼・ソースかつ丼!さらに七福神めぐり[/box06]

     

     

    車で来た時には気づかなかったのですが、三十三観音像がずらり・・・

     

     

    今の時期でも桜の花が咲き始めて、いい色合いになってますね。

    彼岸の時期には、あたり一面、彼岸花で埋め尽くすようです。

    ある意味幻想的な世界になるのでしょう!

    御朱印「龍春寺」パワースポット 七福神めぐり

     

     

     

     

    今回いただいた、御朱印帳は昔のもので、今は一ページに収まるように作られているそうです。

    貴重な御朱印帳をいただきました。(これが最後だそうです)

     

    好間町 龍峰山「長興寺」の御朱印 (いわき市パワースポット 七福神めぐり)

     

    「長興寺」は「龍春寺」のお坊さんが兼務されているので、こちらで「長興寺」の御朱印もいただきました。

     

     

     

     

     

    龍春寺から降りていくと、川の風景が飛び込んできました!

    一度道路に車を止めてしばし流れを堪能!

     

    尾玉山 龍春寺の詳細は こちら

     

     

    今回は「いわき七福神」めぐりの最初になります。

     

    各地域の「いわき七福神」の近くに寄った場合に、他の七福神も撮ってこようと思います。

     

    ちょっと長いシリーズになるかもしれませんが、お付き合いくださいね!

     

    住所 福島県いわき市瀬戸町龍ノ沢9

    電話 0246-64-7669

     

  • いわき市おすすめスポット 八つの潮路が見える中世の山城跡「上遠野城(八潮見城)やしおみじょう」

    いわき市おすすめスポット 八つの潮路が見える中世の山城跡「上遠野城(八潮見城)やしおみじょう」

     

    皆さんこんにちは!

    先日天気が良かったので、遠野の「八潮見城」を歩いてきました。

    え~なになに?っていう方と・・・

    あっあそこね!っていう方に分かれるかと思います。

    じつは私は二回目の登山でございまして・・・

     

     

    【上遠野城今昔】

    時は平安時代の後期、源 頼朝(みなもとの よりとも)は弟 義経をかくまっている奥州平泉の藤原氏を討つよう地方の豪族に促した。

    それに呼応した頼朝連合軍に中に平将門を討った藤原秀郷の流れを持つ関東の豪族 小山朝政(現在の栃木県小山市)がいた。

    この戦いに勝利した連合軍において朝政の活躍は目ざましくその功績により勿来の関北部の菊田荘を与えられた。

    その後、朝政の子孫秀時は、菊田荘上遠野郷(現在の入遠野・上遠野地区を含めた広い範囲)の入遠野に日ノ澤城を築き、上遠野と称した。

    室町時代、現在の地に城を移した上遠野氏は、やがて岩城氏の配下となり、豊臣の時代まで続いたが、天下が統一され「元和の一国一城令」により、上遠野城(八潮見城)は廃城となる。

    廃城となって400有余年、上遠野城跡は曲輪(くるわ)や堀切(ほうきり)、土塁、引き橋など複雑で巧妙な仕掛けを持つ中世の城の特徴をそのまま残しており、城を守ってきた先達の心を今に伝えている。

     

    (上遠野城散策案内より引用)

    チェックポイント

     

    【スタート】→【三峰神社】→【亀の子石】→【しのぶ平】→【井戸跡】→【夢展望】→【そろばん橋】→【八幡神社】

    この流れで紹介させていただきます。

    上遠野公民館の前の空き地があります。

    そこへ車を止めてスタートです。

    【スタート】

     

    散策路の看板があります。

    この道を進んでいきましょう!

    散策路 道順に従って進んでいけば安心ですね!

    比較的すぐ近くに「八潮見城散策路入口」の看板があります。

    【三宝神社】

     

    鳥居をくぐり抜けて進んで行きましょう。

    けっこう急な登りになってます。

    ここの山登りは前半がそこそこキツイ感じでしたが、後半はなだらかな感じになります。

    奥に見えるのが「亀の子石」です!

    ロープがありますから、親切ですね(笑)

    亀の子石

     

    裏から見ると「カエル」みたいですね!

    しのぶ平

     

    起伏の激しい山道を過ぎてくると「しのぶ平」という休憩所があります。

    井戸跡

     

    「しのぶ平」から」井戸跡」まで少々距離があります!

    今回、気づいたのですが山道に突起している「コンクリの杭」が草むらに隠れたりしてて、つまずいたりしますのでご注意くださいね!

    看板が倒れていましたが、景色と照らし合わせると理解できますね!

    残すところ【夢展望】と【そろばん橋】【八幡神社】になります。

    ここからは眺めのいい景色と下りの道のりですから、気楽に行きましょう!

    【主郭部】

     

    本丸跡

    【夢展望】

     

    遠野の街並みと山々を見下ろせます。

    「八潮見」と書いてありますね。

    有名な登山「滝富士」「仏具山」「明神山」と連なっています。

    【そろばん橋】

     

    八幡神社

     

    八幡神社は「そろばん橋」から20分~30分で到着します。

     

    あとは町並みに降りて、上遠野公民館まで行って「終了」になちます。

    お疲れ様でした。

    まあ初心者の私でも結構、楽に登れましたので皆さんもお休みの日には、一時間ちょっとの散策を楽しんでみてはいかがですか!

     

    いわき市 上遠野城 詳細はこちら

     

    遠野城跡のついでと言ってはなんですが・・・

    いわき市「泉 城 跡」もご覧になってください!

     

     

    泉 城 跡 (泉陣屋跡)

     

    泉城は寛文8年(1688年)内藤政親によって築かれた。

    泉藩は寛永11年(1634年) 磐城平藩 内藤政長の四男内藤政晴が二万石を分与され立藩したが、陣屋が築かれたのは二代政親の時であった。

    元禄15年(1702年)三代内藤政森は、上の安中へ転封、変わって相良より本多忠如が一万五千石で入封した。

    延享3年(1746年)板倉勝清は遠江国相良へ転封、変わって相良より本多忠如が一万五千石で入封する。

    本多忠籌の時に老中を務め、五千石を加増されて二万石、さらに城主格となり、以後代々本多氏が続いて明治に至る。

    泉陣屋は泉公民館の一帯に築かれています。

    公民館の東にある公園の北東隅に泉城の石碑が建ってます。

    本多赤玉の碑

    (赤玉は本多氏が行列の時に槍の穂先に飾っていたということにちなんだものらしいです。)

    遺構として民家に移築現存している門と土塁があるようです。

    近くにある泉西公園の北側に土塁のような地形が残されているので、これが遺構かもしれませんが、確証は得られなかったようです。

                      (城郭放浪記より引用)

    今でも現存する本多家陣屋の門

     

    今でも一般の方の家に建立する門があります。歴史が実感できますね・・・

    (当時の門をこちらに移籍しているようです)

    叶屋さんの道路はさんで向かいにあります。

     

     

    [box06 title=”あわせて読みたい”]高速参勤交代でお馴染みの「湯長谷藩」を散策[/box06]

    滝尻城(泉城 いわき市泉町滝尻)

     

    泉のダイソーのところの交差点(歩道橋)を、カワチの方へ入ると左側に諏訪神社があります。

    そこの諏訪神社北側の参道脇にある城址碑。両脇には土塁が残っている。

    また安寿と厨子王ゆかりの地にもなっていますね!

    (余湖くんのホームページ 引用)

     

    今回上遠野城跡の流れで泉陣屋・滝尻城跡などを調べてみました。

    この他にも湯永谷藩・磐城平藩といろいろありますね。

    私自身、特別歴史が詳しい訳ではありませんので、いろいろとネットから引用させていただきました。

    いわき市の「歴史」は、まだまだ分からないことがたくさんあります。

    これから少しずつページを開いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

     

  • すごいぞ!弁天沼にも「左甚五郎作」の「龍」がいた!?いわき市平 おすすめスポット 弁財天 地元では「弁天沼」として親しまれている!

    すごいぞ!弁天沼にも「左甚五郎作」の「龍」がいた!?いわき市平 おすすめスポット 弁財天 地元では「弁天沼」として親しまれている!

     

    皆さんこんにちは!

    今年もいわき市中之作の「つるし雛飾りまつり」の時期がやってきました。

    【日 時】 1月23日~2月7日   10:00~16:00

    【場 所】 中之作 清航館

     

    色とりどりの「ちりめん」で製作されたつるし雛が約3000体、軒下に飾られます。

    今回は新型コロナウィルス対策として、約二週間と長期にわたって開催いたします。

    今日からさらに寒くなるという予報が出ていますので、皆さん温かい服装でお出かけください!

     

     

    そしてお時間のある方はこちらもお勧めいたします!

    おそらくいわき市民の1~2割の方が行ったことがあるかと、勝手に思ってますが・・・

    いわき市では「弁天沼」として親しまれています。

    弁財天と言えば「七福神」でおなじみの女の神様ですね!

    若い頃は、カップルで行くと神様が「焼きもち」焼いて、カップルが別れるとか・・・

    場所がひっそりとした感じなので、「心霊スポット」などと色々な噂などがありました。

    神聖な神様に・・・なんと言うことを!(笑)

     

    いわき市「沼之内弁財天」

     

    この寺は、807年(大同2年)に徳一によって建立された弁財天を祀る堂に始まると伝えられています。

    江戸時代に磐城平藩の庇護を受け、本堂や山門などが改修され・・・

    山門の彫刻は「左甚五郎」の作とされる彫り物が残されています。

    東照宮の建設と同時期の建築と考えられているようです。

     

     

     

     

    階段を登って、ず~と奥に入っていくと山門をくぐり抜けて見えてくるのが「弁天沼」

    超大物の「鯉」や「うなぎ」などが生息していると言われてますが、何回か行ってますが「うなぎ」はあまり見たことがありませんね!

    パンを持っている方がいて、「鯉」にエサをあげるのですが、なかなか上手く食えず「カモ」に横取りされていましたね(笑)

    今は水面が凍っている場所があり、カモが水面を歩いたりしています。

     

     

     

     

    山門「左 甚五郎作」の龍の彫刻!

     

    弁天沼の手前の山門に「左 甚五郎」が彫ったとされる「龍」の彫刻があるときいて探しました。

    山門の前後を調べましたが、それらしき彫り物が見当たりませんでした。

    両脇の彫刻を見てみると・・・

    歴史を思わせるような像がありました。

     

     

     

    歴史が深いと飾られている像も

    山門の裏側に回ってみると・・・

     

     

    上部を見渡してみると・・・うさぎ?

     

    ???・・・

     

    鷹かな鷲かな?

     

     

     

     

    [box02 title=”あったらいいな~CM”]お家へ帰って「笑顔のシーサー」が出迎えてくれたら、疲れも一気に吹っ飛びますね!

    開運グッズいかがですか?


    [/box02]

     

     

     

    「彫り物」はなかなか腕がありそうな人が彫った気がします。

    さらに山門の近くの階段の上には「七福神」の石像!

     

     

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    あれ!? それらしきものがない!

    勘違いなのかなぁ~、それともここの山門ではないのかなぁ~と思って振り返ると・・・

    そこには木々に隠れた「龍の顔」が見えました!

    顔の部分以外、木々に覆われて見えませんが、なかなか迫力のある顔をしてますね!

    これが「左 甚五郎」作の「龍」だと思います!?

     

    [box06 title=”あわせて読みたい”]いわき市発 【左甚五郎】の作品が四倉にあった! 「恵日寺」[/box06]

     

     

    「左 甚五郎」ウィキペディアはこちら

     

     

    実際に「左甚五郎」が彫ったのかというのは、誰も知りえません・・・

    さてあなたは見つけることが出来るかな?

     

    古き良き時代の色々な作品を実際に見ていると、どういう想いで彫ったのだろうとかな思うと、ロマンを感じますね!

     

    今回は「中之作 つるし雛飾りまつり」も開催していますので、そちらへお出かけの際にちょっと足を延ばして「弁財天」も散策されてはいかがでしょうか?

     

    パンを持っていけば、子供たちも一緒に楽しめますよ(笑)

     

     

  • 皆さん「摩崖仏」ってご存じですか?いわき市住吉 遍照院住吉山「摩崖仏」と今は見れない鹿島久保の「摩崖仏」

    皆さん「摩崖仏」ってご存じですか?いわき市住吉 遍照院住吉山「摩崖仏」と今は見れない鹿島久保の「摩崖仏」

     

    皆さんこんにちは!

    さっそくですが、摩崖仏(まがいぶつ)ってご存じですか?

    いわき市にも数か所あったりしますが、皆さんもご存じの「鹿島久保」にあった「摩崖仏」が2019年8月24日の土砂崩れで陥没いたしました。

    それでも最近は直下の「鹿島街道」も普段通りに通行できるようになりました。

     

    以前の「鹿島久保摩崖仏」

     

    【摩崖仏】

    そそり立つ岩壁や、岩壁を龕状に彫った内側に刻まれるなど、自然の岩壁や露岩、あるいは転石に造立された仏像を指す。

    切り出された石を素材に造立された石仏(独立石仏)は移動可能であるが、摩崖仏は自然の岩壁なそに造立されているため移動することができない。

     

    以前に撮っておけばよかったと後悔してます・・・

    それでいわき市にある「摩崖仏」をもっと見てみようと思い、出かけたのが住吉にある「遍照院」

     

    いわき市住吉「遍照院 住吉山」

     

    ここは皆さんご存じの「安寿と厨子王 伝説」にも出てくる寺院です。

     

    [box06 title=”あわせて読みたい”]いわき市でも有名! 安寿と厨子王の物語 映画・漫画にもなりました。[/box06]

    こちらに宿泊したと語り継がれているようですね。

     

    住吉磨崖仏は遍照院・金剛寺墓地の裏山に彫られています。

    門を通りどんどん進んでいきます。

     

     

     

     

     

     

    住吉摩崖仏は遍照院裏山の西崖面に構えた堀の中に厚肉彫りで彫りだされています。

    龕は全部で6か所ありますが、向かって右から数えて第一号龕は当初からのものではありません。

    全体に風化や剥離が激しく、像容を残すのは中央の2つの龕だけになってます。

    第3号龕には、住吉摩崖仏の中では最も大きい如来の像がほぼ丸彫りに近い形で彫りだされています。

    螺髪や豊満な顔の表情など頭部は良く残っていますが、膝前や手首先が剥離や風化しており、印相(手の組み方)は不明です。

    第4号龕には、弥陀定印(印相の一種)を結ぶ阿弥陀三尊像が彫りだされています。

    第3号龕の如来像と同様に丸みを帯びた頭部、厚みのある体部を特色とします。

    向かって右側の脇侍は崩壊していますが、左側の脇侍は像容から勢至菩薩像であると考えられます。

    第5号龕・第6号龕については風化が激しいため、仏像の名称などは不明です。

    住吉摩崖仏の制作年代については、遍照院の寛文8年(1688)の由来書に、同寺が文安元年(1444)鏡澄法印によって中興開山される以前に寺院があり、その遺跡のみが残っていたと記されていることや、満月のように丸みを帯びた顔や体部がかなり古風な様式であることがわかるだけで、詳細については不明です。

    住吉摩崖仏は凝灰岩に仏像を彫りだしているため、風化が進んでいますが、その堂々とした像容は当地方に残る数少ない摩崖仏の代表として注目されます。

    いわき市教育委員会

    説明文があったので、簡単に見つかると思ったのですが、ここからが長かった(笑)

     

    さらに墓地に入って通りを進んでいくとこのよな所が見えてきます。

     

    しかしこの墓石以外に何も見つからず、脇を通って山の上まで散策!

    それでも見つからず一度、車までもどり再度・・・原点から散策!

    墓地を行き止まりまで行き、あきらめかけた時に何気にうっすらと見つけました。

     

    本堂から墓地を歩いてくと右側にこのようなお墓があります。

    脇の階段を上り草むらをこえて3~4メートル進むと・・・

    草むらに隠れた藪の中から「摩崖仏」が現れました!

    両端にも石像が・・・素晴らしいですね!

     

     

    さらにそこから2~3メートル右の藪の中にも隠れてました。

    冬でこの草木ですから、暖かくなると見つけるのが大変かもしれませんね!

     

     

     

    おまけ 岩沢磨崖仏(双葉郡楢葉町)

     

    いわき市から国道6号を仙台に向かって右側にあります。

    Jビレッジの看板がある交差点の所になります。

     

     

    策の扉を開けて、下に降りて行きます。

     

     

    • 本仏は廃所に建てられている。嘉永4年(1851)の灯篭には「正(聖)観世音菩薩」と刻まれているが「十一面観世音菩薩」とも言われる。
    • このまわりには乳岩という岩があり、昔から安産子育ての観音さまとして信仰を集めた。
    • 江戸時代の作と言われるが、また弘法大師が崖に飛びつき、一夜にして彫り上げられたとの伝説も残されている。
    • 指定年月日 昭和49年9月20日

     

     

     

    いわき市から30分もかかりませんので、ちょっと足を伸ばしてみてはいかがでしょう!

    あなたも歴史の生き証人です(笑)

     

     

    昔の方が汗水たらして懸命に彫った産物がなくなっていくのは、心苦しいものであります。

    何かしらの方法で残すとはできないものなのでしょうか?

    自然の流れなのでしょうから、致し方ないのはわかっていますが・・・

    いわき市には、まだあるんでしょうか?

    調べてまた行ってみたいと思います。

    日本にある数々の摩崖仏をご覧になってください。

     

     

  • 福島県いわき市「いわき市考古資料館」 いわき市の歴史を「江戸時代」から見てみました。

    福島県いわき市「いわき市考古資料館」 いわき市の歴史を「江戸時代」から見てみました。

     

    皆さんこんにちは!

    いわき市にもたくさんの新型コロナウイルス感染者が増えてしまいました!

    あるスーパー・ある病院・ある金融機関・あるお店・ある怪しいお店(パブ)と情報がどんどん入ってきます。(笑)

    前にも記事に書きましたが、政府が「経済」を優先したから当たり前のことなんですが、変異型のウイルスが、この先どこまで脅威を見せるのかが心配ですね!

     

    いわき市 考古資料館

     

    自宅からそう遠くない所にある「いわき市考古資料館」

    もう何年も前に存在を知っていましたが、特に興味もなく今まで何回も素通りしてました。

    このブログを書くことになって一年ちょっと、「いわき市の歴史」のというものにちょっとずつ興味がわいてきたので、今回行ってみることにしました。

     

    いわきFCから車で1分・・・スパリゾートハワイアンズからも車で1分!的な場所にあります!

    中へ入ると、まず「はにわちゃん?」が出迎えてくれます(笑)

     

    手前には撮影禁止場所もありますので注意してください。

    ここから展示室になります。

     

    いわき市で発掘された数々の品

     

    まあ正直に申しますと、「考古学」じたいさっぱりわかりません。

    学学時代に習った程度で、土器・石器を見たことがあるだけでした。(笑)

     

    ちょっとグロいですが・・・ワンちゃんも人も発掘されてます。

     

    時代時代で様々な知恵やアイデアが伺えますね!

    娯楽だったのかわかりませんが、顔などもあるようです。

    さらにアクセサリーと・・・時代は変わってもお洒落はされてたんですね(笑)

     

     

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    ワークショップ

     

    今回のワークショップは過ぎてしまいましたが、こんな感じに親子で作ったり、お子さんが作ったりと楽しめます。

    他にも季節で違ったワークショップなどもありますので、ホームページを参考にして確認されてくださいね!

     

     

     

    「いわき」の歴史

     

    【江戸時代】 

     

    1602年 鳥居忠政がいわきに入り「磐城平城」をつくる。 いわき平藩ができる。

    1603年 江戸幕府ができる。

    1622年 鳥居氏が山形に入り内藤氏が、いわきへ入る。

          上遠野、田人など10村が棚倉藩領となる。

    1633年 小川江筋を作りはじめる。

    1634年 泉藩ができる。

    1637年 島原の乱が起きる。

    1657年 この頃、念仏踊りが始まる。

    1670年 湯長谷藩ができる。

    1738年 磐城平藩で百姓一揆が起きる。

    1746年 泉藩に本多氏が移ってくる。

    1756年 磐城平藩に安藤氏が移ってくる。

    1787年 寛政の改革が始まる。

    1790年 泉藩主のの本多忠壽が松平定信を助けて寛政の改革をする。

    1841年 天保の改革が始まる。

    1855年 片寄平蔵が石炭を発見する。

    1862年 老中安藤信正が坂下門(江戸城)で襲撃される。

    1867年 大政奉還が行われる。

    1868年 (慶応4年)磐城平藩が落城する。

     

    【明治・大正時代】

     

    1871年 (明治4年)廃藩置県がおこなわれる。

          磐城平県・泉県・湯長谷県の3県ができる。

          3県は合併して平県のとなり、のち「磐前(いわさき)県」と改称される。

    1872年 太陰暦から太陽暦になる。

    1876年 磐城県・福島県・若松県が合併し「福島県」になる。

    1877年 西南戦争起こる。

    1884年 磐城炭鉱社ができる。

    1889年 大日本帝国憲法ができる。

    市町村制が施行される。

    1894年 (明治27年)日清戦争が起こる。

    1896年 磐城銀行・平銀行が開業する。

          福島尋常中学校磐城分校が開校する。

    1897年 日本鉄道磐城線(常磐線)が開通する。

    1899年 (明治32年)塩屋崎灯台ができる。

    1901年 福島県立磐城中学校ができる。

    1902年 福島県水産試験場ができる。

    1904年 日露戦争が起こる。

          私立磐城女学校ができる。

    1912年 (大正元年)山村暮鳥が平町に赴任する。

    1914年 第一次世界大戦が起こる。

    1923年 (大正12年)小名浜漁港が完成する。

    関東大震災おこる。

    【昭和時代】

    1929年 (昭和4年)国に小名浜港湾修築工事の予算復活を要望する。

    1931年 満州事変が起こる。

    1935年 錦町に昭和人絹工場(現クレハ)ができる。

    1937年 日中戦争始まる。

    1938年 小名浜商港ができる。

    1941年 太平洋戦争が始まる。

    1945年 鹿島灘事件が起こる。

          平市街が空襲を受ける。

    第二次世界大戦が終わる。

    1946年 漁港の防波堤として駆逐艦「澤風」をしずめる。

    1947年 日本国憲法が施行される。

    1948年 サンマのみりん干しが製品化される。

    1950年 朝鮮戦争が起こる。

          石炭を増産する。

    1956年 小名浜港が国際貿易港としての指定を受ける。

    1964年 常磐・郡山地区が新産業都市のしていを受ける。

    東京オリンピック

    1966年 (昭和41年)いわき市が誕生する。

    常磐ハワイアンセンターができる。

    1976年 常磐炭鉱西部鉱が閉山する。

    1987年 草野心平が文化勲章を受ける。

    1988年 常磐自動車道が「いわき中央」まで開通する。

     

    平成時代

     

    1992年 (平成3年)湾岸戦争が起こる。

    1993年 福島空港が開港する。

    1994年 平駅の名称が「いわき駅」に変わる。

    1995年 ふくしま国体が開かれる。

    阪神淡路大震災が発生する。

    1996年 FMいわきが開局する。

    1997年 市考古資料館が開館する。

    1998年 市立草野心平記念文学館が開館する。

    1999年 いわき市が中核市へ移行する。

    2000年 (平成12年)市暮らしの伝承郷が開園する。

          アクアマリンふくしまが開館する。

    2001年 うつくしま未来博が開催される。

    アメリカ同時多発テロ事件が起こる。

    2005年 根岸官街遺跡群が国史跡となる。

          県立いわき公園ができる。

    2006年 フタバスズキリュウお学名が決定する。

          映画「フラガール」公開

    2007年 市立いわき総合図書館が開館する。

    2008年 観光庁ができる。

    2009年 いわきアリオスができる。

    2010年 第一回いわきサンシャインマラソン

    2011年 東日本大震災・原発事故発生

    2014年 田人地区の小中学校総廃合。

          映画「超高速!参勤交代」公開

    2015年 三和地区の小中学校総廃合。

          常磐自動車道が全線開通する。

    「いわき市の歴史」参照

     

    江戸時代からの年号とともに、いわき市の歴史を簡単に並べてみました。

    この四百年ちょっと中でも、様々な出来事がたくさんあります。

    ましてやそれ以前の時代の変化なども記されているのが、今回訪れた「いわき考古資料館」だったりします。

    あまり古すぎて、私などチンプンカンプンですが、標本や資料などは本物やレプリカなどでリアルに再現してありますので、皆さんもお時間のある時にちょっと覗いてみてはいかがでしょう!

    もちろん無料ですので、気兼ねなく入れますよ。

    詳しくは いわき考古資料館ホームページをご覧になってください。

     

    いわき市 考古資料館 詳細は こちら

     

    時代とともに文化が変わり、生活様式もかわっていきます。

    私など江戸時代にタイムスリップしたところで、「こすって火がつくマッチがあるんだ!」とか「歌がきこえるCDがあるんだ!」とかその時代では考えられないことを言うだけで、実際には何もできずにその時代になじんでいってしまうのだと思います。(笑)

     

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    いわき市 いわきの歴史「勿来関文学歴史館」 ・・・で幽霊を見た!?

     

    皆さんこんにちは!

     

    まだまだ、いわき市を歩いていると行ったことがない所がたくさんあります。

    私自身は小名浜育ちの鹿島~湯本と引っ越して、今現在に至ってますから、この辺のことはなんとなく知っているつもりなんですが、それでもまだまだわかりませんし部外的なところは、サッパリわかりません!

    今回は勿来ということで、レポートしながら自分でも勉強するとということになります(笑)

    勿来というと有名な「勿来関(なこそのせき)」

     

    勿来関(なこそのせき)

     

    昔、歴史で習った勿来関!

     

    「来ないでください!」

    私が知っているのですから、おそらく大体の方はご存じかと思います。

    勿来関には「追い剥ぎ」や「盗賊」がでるから近づくなと学生時代に習った記憶があります。

     

    関って何?

     

    関とは、大きな道路や重要な土地に、柵や建物を建てて、人々の通行を見張ってた施設です。

    初めのうちは、政府の守りの足場としての意味合いが強かったのですが、鎌倉時代から政府の力が弱まり、勝手に関を作って通行料を取る人が増えたので、人や物の流れが滞るようになりました。

    のちに「関の数」を減らす政策がとられました。

    江戸時代になると関の役目はまだ変わり、江戸に鉄砲を持ち込むものがいないか、江戸から女性が逃げ出さないかを見張っておくことが重要な仕事になりました。

    江戸には政府があって、各地のお殿様の妻子を人質にとっておいたので、こうした仕事が必要とされたそうです。

    江戸時代が終わると、関はすべてなくなりました。

    現在使われている施設の中では高速道路の料金所や、空港の保安検査場などが似た役目をはたしているようです。

     

    勿来関文学歴史館

     

    勿来関のを登っていくと頂上あたりに建てられている「勿来文学歴史館」

     

     

    館内は「第一常設展示室」「第二常設展示室」「企画展示室」「市民ギャラリー」と別れていまして、場所によっては撮影禁止のところもありますので注意してください。

     

    第一常設展示室 「歌枕 なこそ」

     

     

    幻想的なライトアップされている施設の中で、色々な歌人が詠んだ和歌を19首、紹介しています。

    ちょっと分かりづらいかもしれません、和歌は手前のプラ板に書いてあったりします。

    通 路

     

    通路にもオシャレな屏風調の絵が飾ってあります。

     

    第二常設展示室 「不思議タウン なこそ」

     

    お出迎えは・・・このお二人!(笑)

    江戸時代の宿場町を仮想復元しており、宿場町の様子や昔の遊具を知ることができます。

     

    出た~~~

    LEDで時々映される「ゆうれい」・・・

     

    こちらの絵は映写機で映された一部です。

    色々な絵が変わっていきます。

     

    企画展示室

     

    企画展示室は撮影禁止になってました。

     

    202011月21日~20211月19日 「スポット展示」

    松井 秀簡 (まつい しゅうかん)

    幕末の泉藩の代官で、戊辰戦争の際に非戦を説き自刃した松井秀簡の資料を展示し、あわせて泉藩の戊辰戦争についても紹介しています。

     

     

    勿来関は「桜の時期」には大勢の花見客で賑わいますね。

     

     

    吹く風を

    なこその関とおもえども

    道も狭に散る山桜かな

    源義家朝臣

     

     

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    実際に勿来関はどこにあったの?

     

    実はよく分かってない勿来関の場所! (マジか?)

    昔のお役所で使われていた書類には「なこそ」という関が見当たらないようです。

     

    ただ和歌を詠むと勿来関は・・・

    1⃣東北の、福島県周辺にある。

    2⃣太平洋のそばにある。

     

    という前提で考えられていたようで、「みちのく(東北)」や「あぶくま(阿武隈川)」といった地名と一緒に詠まれています。

    そうした条件に合う、関がありそうな境界を探していくと、今の勿来町がふさわしいということだそうです。

    勿来町という町名は、実は大正年間につけられた新しい名前で、それまで勿来町は「菊田郡」とか「窪田村」と呼ばれていました。

     

    今の勿来町を「なこその関」と考えるようになったのは、江戸時代初めごろのようです。

     

    ※ただし「なこその関」という言葉を、文字として確かめることができるのは今から1100年前の「平安時代」で、このころ書かれた和歌には「なこその関」がたくさん出ているようです。

     

    勿来関文学歴史館の詳細はこちら

     

    吹 風 殿

     

     

    入館は無料です。

    季節ごとに風流な景色をご堪能できそうですね!

    季節で催し等も開催しているときもありますので、詳しくはホームページ等で確認されてください。

     

    勿来八景

     

    最後に勿来八景をお楽しみください。

     

     

     

    お正月早々、ブログを見に来てくださいまして、ありがとうございます。

     

    2021年のコロナ禍中で、皆さん何を楽しんでいるんでしょうね!

    私は食べて食べて・・・

     

    お正月太りとコロナ太りのミックス!(笑)

     

    皆さんも気をつけてくださいね!

     

  • 国宝白水阿弥陀堂~みろく沢炭鉱資料館~常盤神社(パワースポット)後編

    国宝白水阿弥陀堂~みろく沢炭鉱資料館~常盤神社(パワースポット)後編

     

    皆さんこんにちは!

    2日ぶりの更新になりますね(笑)

    家のパソコン機器のルーターが壊れて新品を買ってきました。

    正直パソコン機器関係はまったくの素人なのでさっぱりわかりません!

    とりあえず電気店でルーターを購入して、自分で説明書を見て設定すること4時間・・・

    結局は繋がらず、電気店に電話して「有料での設定」を頼みました!

    「モデムからルーターへのコピー」「パソコンまでの設定」で約9000円・・・

    「携帯へのwifi設定」は1台4500円、これはさすがに自分でやりますと・・・

    結局「設定のプロ」が2時間もかかるなんて・・・

    頼んで良かったです! 私には無理でしたね!

    みろく沢石炭資料館~パワースポット「常盤神社」

     

    今回は、⑫番からのお散歩になります。

    「みろく沢石炭資料館」から来た方向を戻って、山中へ歩いていきます。

     

    ⑫ 「石炭(スミ)の道」遊歩道

     

     

    ここが「石炭の道遊歩道入口」で車は入れなくなってます。

    ⑬ 火薬庫跡

    遊歩道散歩入口から2~3メートルの所に、「火薬庫跡」があります。

    ⑭ 伊東炭鉱箭内抗跡

    ⑮ 狸堀り

    ここで右折します。(国宝阿弥陀堂方面)

    浅所陥没

    ⑰やせ馬

     ⑱たん柄

    ⑲通勤山道

    パワースポット 常盤神社

     

    常盤神社は徳尼御前を祭神とした神社です。

    徳尼は徳化に尽力し田園を開削するなど功績がありいつ頃からか里人は常盤大明神として祟拝していたと言われています。

    白水阿弥陀堂境内の東側に建造されましたが、明治維新の神仏分離令により、毎時16年(1883)に現在の場所へ移りました。

    当神社蔵の直系三十センチ・厚さ約一センチの円形鏡板の中央に蓮華座の聖観音像を配した、「鉄製懸仏」は鎌倉時代後期につくられたとされ、いわき市有形文化財に指定されてます。

     

    常盤神社 詳細は こちら

     

    今は好間にある神社の神主がこちらの神主だったころ、この神社を撮影したら写真のように屋根の下のところに丸い日差しが差し込んだそうです。

     

    福島県いわき市 「塩屋埼灯台」 アクアマリンふくしま周辺おすすめスポット!

     

    お時間のある方は散歩がてらにどうですか!

    歴史の足跡が手に取るように伝わってきますよ(笑)