皆さんこんにちは!
三連休が始まりましたね・・・
私は仕事の都合上、昨日から休んでますけど! この三連休がコロナ禍で今年の年末の感染者の増幅を左右させる「分かれ道」になるんじゃないかと思ってます!
政府が「経済」を優先したわけでありますから、感染者が増えるって言うことは「想定内」だと思います。
第一波・第二波と犠牲者数の割合が少なかったので、高を括っていたのでしょう・・・
これからは高齢者も凄い勢いで感染していく事でしょう!
とにかくこの三連休! 高齢の方はあまり出かけないことが望ましいですね。
さて今回は、いわき市民の方にもあまり知られていない「秘境」を思わせる岩穴を紹介させていただきます。
いわき市三崎公園 「後見ずの海岸(あとみず)」
いわき市にも語り継がれている「伝説」「昔話」がたくさんあります。中には意外と信憑性のあるものだったり、「物語」めいたものなど・・・
【昔あったんだっち 「磐城七浜昔ばなし 300話」】があるくらいですから、凄いですね(笑)
今回のお話は「悲しい悲しい物語」です。
今の、小名浜の三崎公園になっている東手あたりの高台に昔、庄屋様住んでいた。
金も身分もある立場だから、くらしに何一つ不自由はなかったが子の一人の娘は生まれながら片手がなかった。
幼い頃は「テンポテンポ」と遊び仲間にののしられ、長じても人々から「庄屋の片輪者」と後ろ指をさされ、ついに娘は外に出るのを嫌がって、家の中へ閉じこもった。
父親はこの娘をとても可愛がってはいたが、世間の冷たい目に触れたがらない娘を不憫に思って、日の経つごとに深く悲しむようになった。
自分の死後、娘はどうなってしまうのだろうと思うと、居ても立ってもいられなくなった父親はある朝、「たまにはきれいな着物でも着て海でも眺めてみないか」と言い聞かせて、娘を連れだした。
娘は岬の断崖から嬉々として沖を望んでいたが、この時かねて覚悟を定めていた父親は一気に娘を海中に突き落とし、後ろも見ずに、涙をボロボロ流しながら家へ帰った。
このことがあってから、ここを「後見ずの海岸」呼ぶようになったが、子を可愛がる親の真情と、不具の子の将来を不憫がる心は、今も変わらりはない親心である。
地元の人たちは岬に立つごとに、その娘の晴れ着姿を偲んで哀れんだという。
引用 「写真で見る いわきの伝説」
駐車場はホテル手前に5台ほど・・・
もしくはちょっと先には20台くらい止められますね!
それでは後見ずの海岸へ降りてみましょう!
さらに進むと右手にこのような看板が見えます。
この「看板と看板の間」を通って、右側を見るとこのような景色が見えます。
トコトコトコトコと・・・徒歩で五分くらい坂道を下ると・・・!
絶景が!
・・・先客がいました。
何となく大きさが想像できるかと思いますね!
岩穴をくぐり両端を見渡すと潮がそこまできていました。
満ち潮ですね!
こちらの動画を見ると臨場感がわかると思います!
※ この地図でいくと一番右側の左カーブが、入り口(看板と看板の間)になりますね!
散策をしていると7~8人の方々がここへ来ました。
何やら海岸で何かを探してる人、釣り人の知り合い・・・
意外と知られているんですね!
案外誰もいなくて「プライベート・ビーチ」かと思いきや(笑)
いわき市永崎海岸に「海竜」が流されてきた~~~!フタバスズキリュウかぁ?
いわき市には様々な伝説があります。
その辺をまとめて「伝説・歴史」のカテゴリーを作りました。
いわき市を違う角度から見ると、いわきがもっと楽しくなってくるかもしれませんね!