みなさんいわき市で有名な「安寿と厨子王物語」ご存知ですか?
泉町から植田町に抜ける金山のセブンイレブンの前あたりにありますね・・・
なんとなく看板など見たことあるけど、行ったことない方は、サラッとご覧になってください。
親子の悲しい物語ですので、ハンカチをご用意してくださいね(笑)
安寿と厨子王物語
この「安寿と厨子王物語像」は明治の文豪・森鷗外の小説「山椒大夫」(さんしょうだゆう)に出てくる、姉の安寿と弟の厨子王、そして母の旅の姿です。
今から900年前の平安時代の終わりごろ、いわき地方を良くしようとする仕事(岩城判官)に就いていた父の平政道は、小山田千本桜(いわき市山田町あった桜の名所)の桜を、家来の村岡重頼にさそわれ、見物に行った帰り道、この金山町の姥ケ岳のふもとにあったほら穴で、井口小弥太に襲われ命を落としました。
母と子は家来の木村次郎(滋賀県出身)と乳母の小笹(双葉郡広野町出身)をつれて、母の実家のある信夫(今の福島市)に逃げましたが、途中大村次郎は追手と戦い戦死してしまいました。
一行は父を殺されたことを訴えるために、さらに都(今に京都)へ向かいました。ところが途中越後の国(今の新潟)の寺泊海岸にあった仏堂で休んでいたところ、丹後の国(今の京都府)の山椒大夫という人買いにだまされて、母と子は別々の船に乗せられ、安寿と厨子王は山椒大夫のもとに売られて、母は佐渡へ売られてしまいました。責任を感じた乳母の小笹は船から身を投げ、自殺しました。
安寿と厨子王の辛い生活が3年ほど続いたある日、安寿は自分の身を捨てて、厨子王を山椒大夫の屋敷から逃れさせました。
やがて立派に成人し、朝廷に支える身となった厨子王は、人買いを禁止して良い政治を行い、父の仇を出羽神社付近(いわき市東田町)で討ちました。
いわき市金山町の周辺には、安寿と厨子王にまつわるゆかりの地が沢山あります。
親子、姉弟のかたく結ばれた愛情を物語るこの母子像の姿を、永くのちの世まで伝えていって欲しいと思います。「安寿と厨子王パンフより抜粋」
住吉山 遍照院(小名浜三小学校となり)
小名浜三小学校の隣にある 住吉山 遍照院
岩城判官の先祖の墓がある香華院(こうげいん)である。政氏の守護仏地蔵尊 奥室守護
観音像が保存されている。
安寿と厨子王の銅像は こちらにあります。
悲しい物語だとは聞いていましたが、聞けば聞くほど悲しい物語ですね。
お母さんのお気持ちを考えると、なお悲しさ悔しさが伝わってきます。
こうやってブログを通じて、生きてきた証を伝えていくのも供養になるかと思います。