皆さんこんにちは!
先日天気が良かったので、遠野の「八潮見城」を歩いてきました。
え~なになに?っていう方と・・・
あっあそこね!っていう方に分かれるかと思います。
じつは私は二回目の登山でございまして・・・
【上遠野城今昔】
時は平安時代の後期、源 頼朝(みなもとの よりとも)は弟 義経をかくまっている奥州平泉の藤原氏を討つよう地方の豪族に促した。
それに呼応した頼朝連合軍に中に平将門を討った藤原秀郷の流れを持つ関東の豪族 小山朝政(現在の栃木県小山市)がいた。
この戦いに勝利した連合軍において朝政の活躍は目ざましくその功績により勿来の関北部の菊田荘を与えられた。
その後、朝政の子孫秀時は、菊田荘上遠野郷(現在の入遠野・上遠野地区を含めた広い範囲)の入遠野に日ノ澤城を築き、上遠野と称した。
室町時代、現在の地に城を移した上遠野氏は、やがて岩城氏の配下となり、豊臣の時代まで続いたが、天下が統一され「元和の一国一城令」により、上遠野城(八潮見城)は廃城となる。
廃城となって400有余年、上遠野城跡は曲輪(くるわ)や堀切(ほうきり)、土塁、引き橋など複雑で巧妙な仕掛けを持つ中世の城の特徴をそのまま残しており、城を守ってきた先達の心を今に伝えている。
(上遠野城散策案内より引用)
チェックポイント
【スタート】→【三峰神社】→【亀の子石】→【しのぶ平】→【井戸跡】→【夢展望】→【そろばん橋】→【八幡神社】
この流れで紹介させていただきます。
上遠野公民館の前の空き地があります。
そこへ車を止めてスタートです。
【スタート】
散策路の看板があります。
この道を進んでいきましょう!
散策路 道順に従って進んでいけば安心ですね!
比較的すぐ近くに「八潮見城散策路入口」の看板があります。
【三宝神社】
鳥居をくぐり抜けて進んで行きましょう。
けっこう急な登りになってます。
ここの山登りは前半がそこそこキツイ感じでしたが、後半はなだらかな感じになります。
奥に見えるのが「亀の子石」です!
ロープがありますから、親切ですね(笑)
亀の子石
裏から見ると「カエル」みたいですね!
しのぶ平
起伏の激しい山道を過ぎてくると「しのぶ平」という休憩所があります。
井戸跡
「しのぶ平」から」井戸跡」まで少々距離があります!
今回、気づいたのですが山道に突起している「コンクリの杭」が草むらに隠れたりしてて、つまずいたりしますのでご注意くださいね!
看板が倒れていましたが、景色と照らし合わせると理解できますね!
残すところ【夢展望】と【そろばん橋】【八幡神社】になります。
ここからは眺めのいい景色と下りの道のりですから、気楽に行きましょう!
【主郭部】
本丸跡
【夢展望】
遠野の街並みと山々を見下ろせます。
「八潮見」と書いてありますね。
有名な登山「滝富士」「仏具山」「明神山」と連なっています。
【そろばん橋】
八幡神社
八幡神社は「そろばん橋」から20分~30分で到着します。
あとは町並みに降りて、上遠野公民館まで行って「終了」になちます。
お疲れ様でした。
まあ初心者の私でも結構、楽に登れましたので皆さんもお休みの日には、一時間ちょっとの散策を楽しんでみてはいかがですか!
いわき市 上遠野城 詳細はこちら!
遠野城跡のついでと言ってはなんですが・・・
いわき市「泉 城 跡」もご覧になってください!
泉 城 跡 (泉陣屋跡)
泉城は寛文8年(1688年)内藤政親によって築かれた。
泉藩は寛永11年(1634年) 磐城平藩 内藤政長の四男内藤政晴が二万石を分与され立藩したが、陣屋が築かれたのは二代政親の時であった。
元禄15年(1702年)三代内藤政森は、上の安中へ転封、変わって相良より本多忠如が一万五千石で入封した。
延享3年(1746年)板倉勝清は遠江国相良へ転封、変わって相良より本多忠如が一万五千石で入封する。
本多忠籌の時に老中を務め、五千石を加増されて二万石、さらに城主格となり、以後代々本多氏が続いて明治に至る。
泉陣屋は泉公民館の一帯に築かれています。
公民館の東にある公園の北東隅に泉城の石碑が建ってます。
本多赤玉の碑
(赤玉は本多氏が行列の時に槍の穂先に飾っていたということにちなんだものらしいです。)
遺構として民家に移築現存している門と土塁があるようです。
近くにある泉西公園の北側に土塁のような地形が残されているので、これが遺構かもしれませんが、確証は得られなかったようです。
(城郭放浪記より引用)
今でも現存する本多家陣屋の門
今でも一般の方の家に建立する門があります。歴史が実感できますね・・・
(当時の門をこちらに移籍しているようです)
叶屋さんの道路はさんで向かいにあります。
滝尻城(泉城 いわき市泉町滝尻)
泉のダイソーのところの交差点(歩道橋)を、カワチの方へ入ると左側に諏訪神社があります。
そこの諏訪神社北側の参道脇にある城址碑。両脇には土塁が残っている。
また安寿と厨子王ゆかりの地にもなっていますね!
(余湖くんのホームページ 引用)
今回上遠野城跡の流れで泉陣屋・滝尻城跡などを調べてみました。
この他にも湯永谷藩・磐城平藩といろいろありますね。
私自身、特別歴史が詳しい訳ではありませんので、いろいろとネットから引用させていただきました。
いわき市の「歴史」は、まだまだ分からないことがたくさんあります。
これから少しずつページを開いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。