知ってましたか?小名浜で毎朝6時に聞こえてくるあの鐘を鳴らすのは・・・浄光院さんの鐘の音なんですよ!

 

皆さんこんにちは!

2021年もクリスマスが終わり残すところ、あと5日となりました。

 

先日の朝、普段よりちょっと早く出勤して、会社の駐車場から歩いていると「ゴ~ンゴ~ン!」と鐘の音が聞こえてきました。

 

「どこで鳴らしているんだろう?小名浜の街中に聞こえているのかな?」と思いながら、ちょっと調べてみようと思い、小名浜の知人に聞いた所、高台のお寺だと言いました。

私の知る限りでは「浄光院」さんだと思い後日訪ねてみました。

 

小名浜 「真言宗智山派 開虎山観音寺 浄光院」

 

小名浜にお住まいの方ならご存じかと思います。

古湊の所の交差点を富ヶ浦公園のほうへ登って行くと「浄光院」さんがあります。

 

浄光院さんといえば「小名浜八景」で知られてるお寺ですね!

じつは私自身、以前に仕事で「浄光院」さんにお世話になってた時期もありました。

ご夫婦ともに「心優しい方」でして、色々とお世話になりました。

 

 

 

      浄光院銅造宝篋印塔

浄光院梵鐘(市指定有形文化財)

 

この鐘が、毎朝 時を告げてくれているんですね!

 

住職の久野真琴さんにお話を聞いた所、毎朝六時に「7回」撞いているそうです。

 

六時に「7回」というのも面白いでしょう(笑)

じつは「補欠の鐘」と言って、一回多く鳴らしているそうです。

 

なかなかユニークな住職さんで、「時々、回数を間違えるんだよね~!」ってホントかどうかわかりませんが、他にも裏話など面白おかしく話してくれました。

 

小名浜にお住まいの方は、こんどゆっくりと回数をお聞きくださいませ!(笑)

風の向きで、聞こえ方が違いますので、気をつけてくださいね。

 

 

 

 

 

高台にあるので見晴らしがいいですね!

イオン小名浜からの地平線も絶景です!

 

 

 

日本庭園のように美しいお庭ですね!

さぞかしお手入れが大変でしょう。

 

 

 

小名浜八景 -小名浜浄光院誌より抜粋ー

 

「小名浜八景」とは、江戸時代磐城藩主であった内藤義概の子、内藤露沾によって選ばれた小名浜の景勝地である。

 

元禄八年(1695年)江戸六本木の屋敷から磐城平・高月の屋敷に移り住んだ露沾は領内各地を吟行した。

浄光院に隣接していた小名浜御殿にも、各地から露沾の下を訪れた俳人たちとしばしば杖をひいたと言われている。

その折々に選ばれたのが、諏訪晴風・虎山晩鐘・綱取秋風・岬帰帆・岡山暮雪・大原落雁・松之中夜雨・照島夕照の八か所の風光である。

 

露沾の句を集めた「露沾配譜集」には、一部欠本があり残存する本からは小名浜に関する記述を見ることはできなかった。

そこで八景とそれにちなんだ句が大正十三年「小名浜町勢一班」収載されていたので,これを基に紹介することにした。

 

諏訪の春風  春きよししなとの嵐小名の海    露沾

綱取の秋月  漁を取て月や千景藤蒔絵      右巴

岬の帰帆   三伏の帆帰り来ると沖さむし    十口

虎山晩鐘   知り込や鐘も燕もくれの海     露花

岡山暮雪   山も岡も雪くれて降れ玲八千代   沾落

大原落雁   雁ここに帰るや堤の鰻かき     沾落

松之中夜雨  松の根に腰を團の雨夜哉      沾落

照島夕照   山茶花や夕巴を汎ふてりてり日   沾露

 

ー小名浜浄光院誌 小名浜八景碑の建立より 抜粋ー

 

 

 

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2021年「除夜の鐘」の中止

 

2021年 諸般の事情により、一般の方々参加の「除夜の鐘」は中止になりますのでご注意ください。

 

 

今回この記事を書かせてもらうことにあたって、「浄光院」さんから「小名浜浄光院誌」という本を提供してくださいました。

かれこれ私も「いわき市」に60年近く住んでいますが、「小名浜代官所」という名は聞いてはいましたが、その時代の詳細を見て、小名浜の歴史を感じました。

 

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小名浜代官所

 

代官所の設置

延享四年(1747)に磐城平藩主 内藤政樹は延岡(宮崎県延岡市)に転封を命ぜられた。

そして七万石の領地は、城付が二万三千石となり、残りの四万七千石の村々は幕府領に組入れられた。

それらを支配するため、小名浜米野村に代官所が設けられた。

代官所の建物は、内藤家時代の津奉行屋敷が襲要された。屋敷は二反七畝歩、役所をはじめ付属の建物があった。

幕府が村々を直轄領に組み入れる要件として、年貢徴収の対象となる田畑以外に、交通、商業、の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯の存在があり、江戸幕府の主要な財政基盤であった・・・

ー小名浜浄光院誌より 抜粋ー

 

延享4年(1747)~慶応4年(1868)まで小名浜は幕府直轄領になり代官所が置かれました。

現在小名浜米野稲荷神社の先の陣屋敷地内に石碑が建立されています。

 

※小名浜代官所があったとは聞いていましたが、色々と過去の資料を読ませていただくと、大変な時代だったようです。

いつの時代も人間は「陣取り合戦」をしているようにも思えますね!昨今の米中露の「陣取り合戦」もさることながら、人間の本能なんでしょうか・・・悲しいですね!

世界の平和を願うばかりです!

 

小名浜をもっと詳しく知りたい方は「小名浜物語」 こちら

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